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まちなかサルベージは記憶の海で

この前読んでた論文で、偉いおじさん言っていた。「風景を見ることは、想起された記憶を用いて、自分なりの情景を創造する芸術行為なのだ」と。それっていったい、どういうこと?

最近、実家の近くのおっきな畑が潰されて、住宅地がドスンと腰を下ろした。そこにあったのは畑だけではない。積み上げられた牛の糞。一帯を真っ白にする野焼き。ちょくちょく来ていた野良猫。鍬を振る手を止めて挨拶をするおじさんおばさん。その風景を僕は、もうずっと見る事はないのだ。

場所が無くなれば、そこに居た人々の風景も無くなってしまう。そこで起こっていたことも含めて風景なのだ。

港まちには、おもいでの痕跡がたくさん散らばっている。ビルの頭の「TAX FREE」。ひっそり佇む純喫茶。誰もいない船溜り。

今でも現役の場所もあれば、24時間シャッターが下りているところもある。僕は立ち止まって、いつかの港の人々の、毎日を見つめる。すると、自分だけの風景が夢のように組み上がっていく。偉いおじさんよ、今なら少しわかる気がするのだ。(ポットラック新聞 かわら版に掲載)